こんにちは!尾張フィルスタッフです!
本日(4/28)は、CCnet春日井内の多目的ルームCspaceにて練習をおこないました。

今回のブログでは、楽曲の副題について考えてみます。

第7回定期演奏会で演奏される曲は、
偶然すべての曲に副題が付いています。

・A. ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて
・W.A. モーツァルト:交響曲第31番「パリ」 ニ長調 K. 297 (300a)
・L.v. ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 ヘ長調 作品68

この中で唯一モーツァルトの「パリ」は愛称であり、
作曲家本人が付けた副題ではありません。
Wikipediaには、以下のように書かれています。

パリの演奏団体コンセール・スピリチュエルの支配人
ジャン・ル・グロからの依頼によって作曲されたため、
『パリ』の愛称で呼ばれることがある。

その他にも、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」という副題も、
作曲家自身がつけたものではないことは有名ですね。

作曲家の死後、副題によって代表曲の仲間入りを果たした曲は多くあります。
しかし、その副題と作曲家の意図したことが必ずしも一致しているとは言えません。

今回の曲目で言えば、
モーツァルトの交響曲第31番は、
パリの支配人の依頼で作られたため「パリ」と呼ばれているだけで、
決してパリをイメージして作った曲ではありません。

その他にも、
ショパンを例にするとでは「別れの曲」「子犬のワルツ」「黒鍵のエチュード」など、
日本でしか(?)つけられていない副題も多くあると感じます。

副題というものは、印象に残り、的を射ているものもありますが、
作曲家の意図を表していないことも多くあります。

ですので、
副題が、作曲家がつけたものでなければ、
先行したイメージを一度捨てて、
あらためて曲と向かい合う姿勢が必要ではないでしょうか。

H.K.

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